石川県立工業高等学校 沿革

石川県立工業高等学校は明治20年(1887年)創立で、創立128周年を迎えた日本でも最も歴史のある工業高等学校です。
創立者納富介次郎は九州佐賀藩士で、明治政府の命で石川県金沢の地に本校の前身である、「金沢工業学校」を創立し、その後、富山県高岡に現「富山県立高岡工芸高等学校」、四国の香川県に現「香川県立高松工芸高等学校」、九州佐賀県に「佐賀県立有田工業高等学校」を作りました。
創立者を同じくするこの4校は、姉妹校として現在でも交流を深めています。


初代校長納富介次郎について

納富介次郎
納富介次郎は佐賀県小城の神道家柴田花守の次男として誕生し、父より書が、皇典を学び、わずか8歳で「介堂」という号を持っていました。16歳の時、佐賀藩士で儒家の納富六左衛門の養嗣子となり、同郷の大隈重信、近藤晋平、副島種臣らと志を同じくし、深い交わりを持ちました。
明治6年のウィーン万国博覧会で事務官の重責を果たし、ワグネルを介した研修をとおして工業教育の重要性を痛感しました。帰国後はDESIGNを「図案」と訳して、その重要性を広めながら「技術者の育成機関の設置」を提唱しました。明治19年、巡回指導技師として来県したことが縁で、本校が画学校ではなく工業学校として誕生しました。本校は納富介次郎の建学の志をうけ、「新しい地域文化の創造・活力あるひとづくり」を目指しています。
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